大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和29年(オ)928号 判決

上告人 村井民雄

被上告人 川端達男

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人臼杵敦の上告理由第一、二点について。

原判示によれば、「甲第一号証(戸籍謄本)と証人川端マツの証言を綜合すれば、被上告人が昭和五年一月二四日訴外川端マツの子として出生したことが認められ、川端マツの証言に証人柴部光右ヱ門、竹村きみ子、南いしのの各証言を綜合すれば、川端マツが大正一二年カフエーの女給として働いていた頃、当時大阪医科大学在学中の上告人と知り合い、大正十三年頃より情交を結んで昭和四年暮頃までこれを継続した事実を認めることができる。右認定に反する上告人本人の供述は信用できず、乙第一号証も右認定を覆すに足りない。そして右証人竹村、柴部及び南は、川端マツがいわゆる固い女で他の男とは関係がなかつたと思う旨の証言をなし、川端マツもこれに副う供述をなしているが、乙第一ないし第四号証も、川端マツが被上告人を懐胎した当時、他の男との間にも同様の関係があつたことを疑わしめるに足る証拠となすに不十分であり、上告人本人の、被上告人を柴部光右ヱ門の子と思う旨の陳述は何らの証拠を示さない陳述で到底信用できず、一方、鑑定人草刈春逸の鑑定の結果によれば、上告人と被上告人との間には血液型の背馳はなく、ただ、総括的観察としての結論において、被上告人が上告人の実子であるかどうか判らないというにとどまり、その他には、何らの反証もない」というのである。

認知請求の訴において、原告は自己が被告の子であるとの事実につき挙証責任を負うべきこと勿論であるが、本件において原審の確定した前示事実関係によれば、被上告人の母が被上告人を懐胎したと認められる期間中上告人と継続的に情交を結んだ事実があり、且つ上告人以外の男と情交関係のあつた事情が認められず、血液型の検査の結果によつても、上告人と被上告人との間には血液型の上の背馳がないのであるから、被上告人は上告人の子たることを推認するに難くないのであつて、況んやこの推認を防ぐべき別段の事情は存しないのであるから、被上告人が上告人の子であるとの事実は証明されたものと認めても、経験則に違反するところがないといわなければならない。

所論引用の大審院判例は、右の趣旨に副わない限度においてこれを変更するものである。されば、被上告人の本件請求を認容した原判決は結局正当であつて、論旨は採用することができない。

同第三点について。

原判決は、民法一条の二が本件の如き認知を目的とする訴における挙証責任についても解釈の標準となるべきものとしたのであつて、私生子なるが故に殊更に差別的取扱をしたものとは認められないから、所論憲法一四条違反の主張は、その前提を欠き上告適法の理由とならない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官藤田八郎の少数意見を除くその余の裁判官一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官藤田八郎の少数意見。

原判決は、認知請求訴訟における立証責任の分配の問題に関し「認知の請求を為す者において、相手方たる男子との性交の結果妊娠した事実の立証責任を負担することは勿論であるが、いやしくも、問題の子を懐胎したと認められる期間中に、相手方たる男子との間に性的交渉のあつた事実が立証された以上は、反証がない限り、この性交の結果妊娠したものと一応の推定(所謂事実上の推定)を為すべきであり、従つて立証責任は終始認知請求者の側にあるが所謂立証の必要は相手方たる男子に移り、此の者に於て右期間中に他の男子との間にも同様の関係が結ばれ従つて問題の子の父であるかも知れぬ者が自己以外に存在する旨の所謂多数関係者の抗弁を提出し、且、この事実を立証し得ない限り、右の事実上の推定を阻止することはできないものと解するのが相当である」とし、本件において、上告人と川端マツとの間には大正十三年頃から、昭和四年暮頃迄情交関係が継続せられ被上告人はその間において昭和五年一月二十四日川端マツの子として出生した事実は確認されたに拘わらず、上告人が原審において提出援用した乙第一乃至四号証、鑑定の結果、上告人本人訊問の結果をもつてしては前記事実上の推定を阻止する反証とするに足りず「結局、上告人は自己と被上告人との間の父子関係の存在についての先きに掲げた事実上の推定を受けることを阻止するに足りる反証を尽さないのであるから、所謂多数関係者の抗弁を理由に本件認知請求を拒むことはできず」として被上告人の本訴請求を認容したのである。

しかしながらいわゆる立証責任とは要証事実が証明されなかつた場合、その事実につき立証責任を負う者の不利益において裁判がなされるということであつて(昭和二九年(オ)八五六号昭和三一年九月一三日第一小法廷判決)、原判決のいうように、上告人(被告)の挙証責任を負担する事実が上告人提出援用の証拠から認められないからといつてただちに、上告人を敗訴せしめるという筋合のものではないのである。裁判所は要証事実の真偽を確定するについては、挙証責任を負担する当事者の提出した証拠方法であると又はその反対を証するため相手方の提出した証拠方法であるとを問わずすべてこれを斟酌することを要するものであり、殊に子の認知の訴訟は人事訴訟の範疇に属するものとして職権主義をとるものであり、裁判所は、当事者双方の提出せる証拠のみならず進んで職権をもつて必要と思われる証拠調を遂行し、あらゆる証拠調をもつてしてもその要証事実についてこれを真実とみとめる心証を得られなかつた場合にはじめていわゆる挙証責任分配の法則に従つて、その責任ある当事者の不利益において裁判をすることとなるのである。しかるに、原審は要証事項について被上告人(原告)側が提出援用した証拠については何ら判断を加えるところなく(本件の第一審判決は、これらの証拠を綜合して本件要証事実のすべてを肯認し被上告人勝訴の裁判をしたのであるが)また、さらに進んで職権をもつて証拠調をした形迹もなく、ただ上告人の挙証は反証とならないというだけの理由で上告人敗訴の裁判をしたことは、人事訴訟の職権主義たることを忘れ、訴訟における挙証責任の法理を誤つたものと云わざるを得ない。

さらに、原審の判示した挙証責任分配の法則は果してあやまりないものであろうか。

もとより認知請求の訴において、被告に対し認知の請求をする原告は自己が被告の子であることにつき立証の責任を負担する(これは原判決も是認するところである)。そして自己が被告の子であることを立証するためには被告と自己の母との間に性的関係があり、この関係が、母が自己を懐胎した原因であることを立証しなければならないことは当然である。そしてこの関係がその懐胎の原因であることを主張するためには、他にその頃原告の母と性的関係を結んだ男子がいないということ、或は他にかかる男子があつても、その男子との関係が右懐胎の原因でないという事実を明らかにしなければならない。旧来の大審院判例がくり返し「甲男と乙女の交通が乙女懐胎の唯一の原因であつた」事実につき挙証の責任ありとする所以である。ただ、この場合は、原告の母が原告を懐胎した時期と考えられる――いわゆる受胎可能の期間に、原告の母と被告との間に性的関係があつたという事実が立証されれば、原判決のいうように、「反証がないかぎりこの性交の結果懐胎されたものと一応の推定(所謂事実上の推定)を為すべきで」あろうか。「従つて所謂立証の必要は相手方たる男子に移り、この者において右期間中に他の男子との間にも同様の関係が結ばれ、従つて問題の子の父であるかも知れぬ者が自己以外に存在する旨の所謂多数関係者の抗弁を提出し且、この事実を立証(反証)しない限り、右の事実上の推定を阻止することはできないと解す」べきものであろうか。

男女関係の態様の種々相によつて異るのであつて原判決のごとく一概に論決することはできないのではなかろうか。

法律上婚姻している男女に関しては、この点に関し厳とした法律上の推定があり(民法七七二条)この推定をくつがえすためには、とくに嫡出子否認の訴によることを要するものとせられる(同七七四条七七五条)。法律上の婚姻ではないけれども、いわゆる内縁の夫婦関係ある男女間に生まれた子については、事実の蓋然性にもとずく立証責任の問題として民法七七二条が類推され、内縁の夫の子の推定を受けるべきであるとすることは当裁判所の判例(昭和二五年(オ)三二三号事件同二九年一月二一日第一小法廷判決)である。

しかしながら、婚姻若しくはこれに準ずべき内縁関係のないいわゆる私通関係にある男女間に生まれた子に関し、その関係持続中に懐胎したというだけでたただちに懐胎された子がその相手方たる男の子であることの「事実上の推定」が立証責任の問題として無条件に是認せられてよいであろうか。

職業的に性交を常習とする女について、かような推定のなりたたないことは常識上当然である。また、良家の子女に対して一概にいわゆる不貞を推定することは原判決のいうごとく改正民法一条の二の理念に反するであろう(尤も良家の子女といつても、法律上の婚姻も事実上の結婚もしないで子をうむという事態そのことに相当問題はあるとしても)。しかし本件原判決認定のような大正十二年来昭和四年までカフエーの女給として働いていて、当時大阪医科大学在学中の上告人と情交関係を結んだという境涯の女子について無条件に、原判決のいうがごとき事実上の推定が成り立つものとするのは、いささか早計ではなかろうか。

原判決は、この法則支持の一証拠として挙証の困難を挙げている。曰く「一般に或る事実の存在したことを証明するのに比べると或る事実の存在しなかつたことを証明するのは著しく困難なことであり、しかも、このことは女子の操行の問題については事柄の 質上一層困難の度を加えるものである」として、女子に不貞のなかつたことの挙証を強うるの非を強調している。しかし、立証の困難は相手方にもある。本件のようにすでに分娩より二十年余の歳月を経た今日において、二十余年前にカッフエーの女給をしていた女に他にも関係者があつたという事実の立証の困難はまさに上告論旨の指摘するとおりであろうと思われる。

(また、原判決は、いわゆる「多数関係者の抗弁」は被告の提出する抗弁なるが故に被告側に立証責任ありとするもののようであるが、いわゆる多数関係者の抗弁は真正の意義における抗弁とは認められない。被告との性交関係が原告懐胎の原因であるという原告主張の事実に対する相手方の否認に伴う反対事実の主張に過ぎないのである。)

事案の実相は、きわめて微妙な事実関係の裡に伏在するのであつて、各場合の具体的案件について、その具体的事情に即して解決するの外なく、原判決のいうような普遍的な抽象的な立証責任の分配ということは、一概には考えられないのである。

もともと、認知訴訟は、父と子との間における事実上の親子関係の存在を確定し、かつこの事実にもとずいて、法律上の親子関係を創設することを目的とする訴訟であつて親族法上、相続法上重大な影響を及ぼすことはもとより、人倫の根本に関し、公益にも関連する重要なものであるために、とくに人事訴訟によることを要するものとせられ、この訴訟においては当事者の処分権主義を制限し、職権主義を採用したのであつて、単に当事者の挙証が不十分であるから、直ちにその当事者を敗訴させるというがごとき訴訟のたて前にはなつていないのである。であるから、裁判所としては挙証責任の法理に従つて裁判をする前に、できるかぎり職権による事実の探知をしなければならない。懐胎当時の情交関係は間違いないとしても、被告の他に原告の母と、同様の関係を結んだものがあつたかどうかの点は勿論、当時原告の母の操行に関する状況、分娩前後における双方の交情の密度、或は子の命名に父たるべき人が干与したようなことがあるかどうか、その他、当時事実上自己が父たることを認めていたような事実があるかどうか、本件のごときは、子の出生以来二十余年を閲して後に認知の訴が提起されているのであるが、何故にしかく多年に亘つて、認知問題が放置されて来たか、その間子の扶養はいかにされて来たか、等々直接、間接の事情関係を仔細に探究することによつて、おのずから、裁判所は主要の要証事項について心証を得られることとなるのである。

(本件第一審判決は、原告側の立証によりその頃、原告の母に不貞の事実なしとの心証を得て原告勝訴の裁判をしたことは前に述べたとおりである。)

従来、大審院が明治四五年四月五日以来くり返し、「甲男ヲ自己ノ父ナリトシテ認知ヲ訴求スルニハ単ニ甲男ト乙女ト情交ヲ通シタル事実ヲ証明シタルノミヲ以テハ足レリトセス、乙女カ其懐胎当時ニ於テ他ノ男子ト通セサリシ事実関係ヲ乙女ノ操行其他乙女ノ懐胎当時ニ於ケル四囲ノ状況ニヨリテ確立シ以テ甲男ト乙女ノ交通カ乙女懐胎ノ唯一ノ原因タリシ事実ニ付キテ裁判所ノ心証ヲ得ルコトヲ要シ」として裁判所はこの間の事情関係について十分に職権調査を為すべきことを指示し、すすんで「事実、証拠ニヨリテ乙女カ他ノ男子ニ接セサリシコトノ心証ヲ裁判所ニ起サシムルコトヲ得サリシ」場合、すなわちこれら職権探知の結果、乙女が当時不貞でなかつたことの心証が得られなかつた場合は「原告ハ認知ノ訴ニ於テ敗訴スヘキモノトス」と判示しているのは、その表現に意をつくさぬ点がないとは云えないけれども、結局は、上来述べ来つたところの人事訴訟としての認知の訴の本質を開明したに外ならぬと解すべきであつて、原判決のごとく右大審院判決をもつて「認知請求の訴における原告側の立証責任を不当に加重するもの」と非難するはあたらないのである。

要するに、原判決が自ら十分に事実を探知することはなく、安易に挙証責任分配の法則に依拠して裁判をしたことは認知訴訟が人事訴訟である本質にもとり、審理不尽の違法をあえてしたと云うの外なく、原判決はこの点において破棄を免れないものと思料する。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克)

○昭和二九年(オ)第九二八号

〔上告人〕 村井民雄

〔被上告人〕 川端達男

上告代理人臼井敦の上告理由

第壱点 原審判決は大審院判例と相反する判断をなしたる違法の判決であるから御破毀相成るべきものである。

一、大審院判例(明治四五年(オ)第八六号同年四月五日第二民事部判決・第十八集第三四三頁以下)の示すところによれば

甲男を自己の父なりとして認知を訴求するには単に甲男と乙女と情交を通じたる事実を証明したるのみを以て足れりとせず乙女が其懐胎当時に於て他の男子と通ぜざりし事実関係を乙女の操行其他乙女の懐胎当時に於ける四囲の状況によりて確立し以て甲男と乙女の交通が乙女懐胎の唯一の原因たりし事実に付きて裁判所の心証を得ることを要し事実証拠によりて乙女が他の男子に接せざりしことの心証を裁判所に起さしむることを得ざりし原告は私生児認知の訴に於て敗訴すべきものとす

と判示し乙女が他の男子と私通ありとの反証なき以上は医学上認められたる期間内に出生したる上告人は被上告人の子なりと認定せらるべきは当然の筋合であるとの理由を以て上告したる上告理由を排斥したのである。

而して右判例は変更されたことなく同趣旨の判例が繰返されてゐるのである。(昭和五年五月五日、昭和六年二月六日、昭和九年六月二十日。)

二、然るに原審判決は

(イ) 一般に或る事実の存在したことを証明するのに比べると或る事実の存在しなかつたことを証明するのは著しく困難なことであり、而もこのことは女子の操行の問題に付ては事柄の性質上一層困難の度を加えるので判例のごとき解釈をとることは認知請求の訴に於ける原告側の立証責任を不当に加重するものであつて殆んど婦女の不貞を推定するに等しきこと

(ロ) 両性の本質的平等を旨として解釈すべきものとする改正民法第一条の二の理念の下に於ては到底判例に従うことは出来ない

との理由の下に前記判例と相反したる判断を示し子を懐胎したと認められる期間中に相手方たる男子との間に性的交渉のあつた事実が立証された以上は反証がない限り此の性交の結果妊娠したものと一応の推定(所謂事実上の推定)を為すべきであり、従つて立証責任は終始認知請求者の側にあるか所謂立証の必要は相手方たる男子に移り此の者に於て右期間内に他の男子との間にも同様の関係が結ばれ、従つて問題の子の父であるかも知れぬ者が自己以外に存在する旨の所謂多数関係者の抗弁を提出し且此の事実を立証(所謂反証を提出)しない限り右事実上の推定を阻止することは出来ないとなし上告人と川端マツとの間には昭和四年暮頃迄情交関係が継続し被上告人が右マツより昭和五年一月二十四日出生したから上告人、被上告人間には父子関係あることの事実上の推定を受けるので所謂多数関係者の反証がない限り上告人は認知請求を拒むことが出来ない

と判示した。

三、右原審判決は明かに前記大審院判例と相反した判断を示したる違法の判決であるから御破毀相成るべきものである。

第弐点 原審判決は立証責任を顛倒したる違法の判決であるから御破毀相成るべきものである。

一、主張するものは立証すべき義務を負担するのが民事訴訟法の根本原則であるに拘らず原審判決は被告の子なりと主張する原告に対し立証責任を負担せしむることなく公知又は顕著なる事実にあらざる事実を独断を以つて区別し事実上の推定をなすべきものとなし不法にも所謂多数関係者の存在なる概念を創造し該事実の立証責仕は被告にありとなし以て立証責仕を顛倒したのである。

而して法律の例外規定あるにもあらず、法律に推定規定あるにもあらず又法律効果の発生障礙たる事実にもあらず又免責的規定に該当する事実にもあらざるに拘らず何が故に被告(上告人)に於て右多数関係者の存在事実を立証する責任を負うべきであろうか。

原審判決は立証責任を顛倒すべき法規なきに拘らず立証責任を顛倒したる不法の判決である。

二、原審判決が立証責任を顛倒したのは或る事実の存在したことを証明するのに比べると或る事実の存在しなかつたことを証明するのは著しく困難であることを第一の根拠とせる如くであるが此のことたるや被告(上告人)に付いて文字通り当嵌るのであり之を根拠として立証責任顛倒の違法を敢えてなす根拠とはなし得ない。即ち原告が被告の子であることを立証することよりも被告が原告の父でないことを証明することの方が困難であるのみならず原告がカフヱーの女給たりし川端マツの子として上告人の長男村井兵部の出生した昭和四年三月二十日の翌年たる昭和五年一月二十四日出生したもので原告の出生より実に弐拾数年の歳月を経過したる後に於ては被告の立証の困難の程度は愈々加わり殆んど上告人(被告)の不品行を断定するに等しい。しかのみならず原審判決は所謂多数関係者の存在の立証をなすべきものと判示せるも刑事訴訟法に於て公訴の時効制度の設けられて居ることを併せ考へるならば弐拾年余前の事実の立証の困難は想像に余りあり且他人の不品行を摘発すべしと命ずるに等しく、斯る立証責任の顛倒は被告(上告人)に対し余りに酷であると言はねばならない。

従つて原告側と被告側の立証の難易を以て立証責任顛倒の根拠となし得ないものである。

三、次に原審判決は両性の本質的平等を根拠として立証責任顛倒の根拠となすが如きも原告を分娩したる川端マツがカフヱーの女給をして転々していたことは同女の認むるところ、上告人の出生したのは上告人の長男村井兵部の出生した翌年昭和五年一月二十四日なること戸籍謄本により明かであり鑑定人草刈春逸の鑑定の結果によれば本件当事者間の父子関係は肯定も否定も出来ないとの結論並乙第一号証により原告(被上告人)は被告(上告人)と何等関係なき旨記載あるにより一応被上告人は上告人の子でないことの事実上の推定こそ受けるべき事実関係なるに拘らず原審判決は事実認定により一応本件当事者間の父子関係を推定し上告人に反証、立証責任を負担せしめて立証責任を顛倒したのであつて女性偏重の判断を示したものと言うの外なく、両性の本質的平等の原則に反しているのである。

四、実際上に於ても認知訴訟の子の立証責任を女子が懐胎したと認められる期間中に相手方たる男子との間に情交関係があつた事実を証明すれば足るものとし相手方たる男子が自己の子にあらざることの立証責任を負担するものとせば子の出生後数拾年を経て認知訴訟を提起せられた男子は事実立証困難のため已むなく父子関係を認定せらるゝの不合理を生ずべきを以つて斯る人事上の重大問題訴訟に於て軽々に立証責任を顛倒すべきものではない。

右第壱点及第弐点掲記の法令の違背は判決に影響を及ぼすこと明かなるを以て原審判決は到底破毀を免れない。

第参点 原審判決は憲法第十四条に違背せる判決であるから御破毀相成るべきものである。

何となれば

一、憲法第十四条第一項は「すべて国民は法の下に平等であつて人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と規定している。

二、然るに原審判決は被上告人を分娩した母川端マツに付懐胎当時他の男子と情交なかりし事実の立証責任は被上告人になしとなし本来被上告人の負担すべき立証責任を上告人に転稼し以て上告人に酷なる差別的判断をなしたのである。

原審判決は改正民法第一条の二の両性本質的平等を旨とせる解釈より来る当然の帰結なるかの如き論拠により右立証責任の顛倒をなしたが実は本件訴訟の原告(被上告人)は私生児たる川端達男であり私生児たる身分を有するが故に右立証責任を顛倒したものに外ならないのである。

三、故に原審判決は私生児たる身分を有する被上告人に差別的優遇をなし斯る身分なき上告人に対し差別的酷なる取扱をなしたる判決であると言うべく、憲法第十四条に違背せること明かである。

仍つて此の点に於ても原審判決は破毀を免れない。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例